戦後の混乱期がすぎると、商品を並べさえすれば何でも売れるといわれるほどの活況を呈し、新規出店もあいつぎ、昭和31年に協同組合山王荒町商店会を結成した。
その後38年に鶴岡山王商店街振興組合と改組して現在に至っている。
翌年には県内初となる地下水を利用した消雪道路が竣工。
当時の調査によると加盟商店数91件、日曜日の歩行者+自転車数は木村屋本店前で13,104人を数え、パチンコ屋が3軒、銀行3行、鶴岡で唯一の洋画専門映画館スカラ座も裏通りにあって、相当な賑わいだった。
その後も当時、鶴岡最大の商品スーパー「まるいち」等の出店や、人気歌手のコンサート企画などの販促活動で隆盛が続いた。